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私が卑屈にならない理由
私は40代独身フリーランスこども部屋おばさんですが、まったく卑屈に感じていません。自己否定していません。
その理由を紐解きます。
人と比べても意味がない
人と比べる人、いますよね?
別に人と比べることを「やめろ!」って止めたりしません。
でも、比べたところで、自分のスペックが変わりますか?
私が一人暮らしの人と自分と比べたところで、私がこども部屋であることは変わりません。
その場合、比べることは、私にとっては意味のないことです。事実が変わらないから。
例えばこれが、関西風の卵焼きと関東風の卵焼きを食べ比べます。関西風の方が美味しいなと思ったら、次からは関西風を作るでしょう。これなら、比べることは意味があると思います。次の行動が変わるから。
比べても意味がないことを、比べるのは意味がない。事実が変わらないから。
一人暮らしがいいと思って比べてるなら、一人暮らしをすればいいけど、自分で望んでこども部屋なので、事実は変わりません。
それをわざわざ比べて、「なんで一人暮らしができないんだ!」ってマイナスに考えるとしたら、それは単純に一人暮らしの方がいいと思っているからだと思います。そして、頑張ったらできるけど、していない自分が嫌だと思っているんだと思います。私は、そうは思わないので、こども部屋で満足しています。
友人に「パラサイトしてる」と言われたことがあります。私は、将来私が親の面倒を見るつもりなので、パラサイトではないと思っています。友人には言い返しませんでしたけどね。
事実ベースで考える
事実がなんなのか?そこが大事です。
自分の事実に満足しているかどうか?
みなさん、満足してますか?
私は満足しています。
きっとね、卑屈になる人って、「もっと自分は評価されるべきだ」とか「もっとできる」とか事実に満足していないのだと思います。
行動していないければ、事実は変わりませんし、他人の評価はコントロールできません。
自己満足を目指す
常に誰かと比較して、「この人よりましだ」とか思っている人は、自分よりも優秀な人に出会うと、卑屈になる可能性があります。
優秀な人はいます。
それは変わりません。
優秀な人は優秀なままです。
それが自分の人生になんの影響がありますか??
自分が「これでいい」と思ったら、それでいいじゃないですか?
そう思いませんか?
偉人の話は確かに有益です。真似できるところは真似すれば、いい影響があります。
そうした方が自分に有益なら、そうすればいいだけで、逆に「アインシュタインの方が頭いいなんて、なんて自分はダメなんだ!」と思いますか?私はそうは思いません。自分のことを理解していて、自分の自己満足が何かをわかっていて、この世の中には優秀な人がいるとわかっているからです。
まとめ
認めてしまえば、とても楽になりますよ。